RE:START

ブログを放置していつの間にやら1年が経ってしまっている。。
久しぶりの日記を重い腰をあげて書いてみる。

某不動産・建設系会社に入社してもう少しで1ヶ月になる。建設・不動産が中心だが、出版や金融、高齢者事業、ホテル運営まで幅広く事業展開しているグループだ。そのグループの中核を担う建設会社に就職したというわけだ。少しややこしいが、子会社に直接的に入社・採用されたというのではなく、グループ採用となっておりグループ全体を束ねる持株会社の採用ということに手続き上はなっていると思う。そして、その会社から今の会社に配属されるということである。まあ社名を書いてもいいのだが、あえて伏せておこう。会社がコンプライアンスがどうのこうのだとかうるさいので(笑)

ということで、なんだかんだ遠回りしたが、やっと建築設計職での社会人生活が始まったわけです。そこらへんのことについて、追々あらためて買いていこうと思う。自分の思考したことを書きとめていきたい。とにかくちょくちょくブログ更新する癖をつけよう。

目指す先

先週から東京R不動産のサイトを運営しているSPEACにインターンにきている。早いものでもう一週間が経つ。SPEACは建築と不動産のデザイン・プロデュース組織だ。自分なりに(不動産や経済について不勉強すぎる身ながら)建築に不動産的なアプローチがどう活かされているか、どうクリエイティブなやり方となっているかを見たいと思ったのがここに来た理由だった。


現時点でインターンでやっている内容としては、模型と内装業者のリサーチ作業をやっている。このたった2週間で何が学べるかわからない。まあもちろん就職も視野に入れてきたわけだけど。何が学べるかわからないけど一生懸命やりたい。他の人は就活やってる今この時期に、あえて普通の就活は放り出してここに来る意味があるのかどうか、わからないとは思いながらも、とりあえずきてみた。来てみて、今感じていることは、特に何が学べたというわけではないかもしれないけど、やはりSPEACの代表の林さんに会えてよかったと純粋に思えた。


初日に、リサーチ作業の説明のために、今そしてこれから始めようとしている東京R不動産のtoolboxの事業スキームの話しやリサーチの進め方について林さんが話してくれた。その時に思ったことはこんなにおもしろい(というかすごい)人は久しぶりか、はたまた初めてかもしれない!というぐらいに久しぶりにワクワク感かんじた。


toolboxは新しい建築の更新方法だと思った。草の根から日常の生活のレベルから更新していく。それは大げさに言えば新しいメタボリズムと言えるのではないか。メタボリストたちが出来得なかったことをR不動産/SPEACはやろうとしている。


とにかくSPEACに抱いた興味は的外れじゃなかった。(えらい上からな言い方になってんな。笑)事業的、建築的、人間的な関心・あこがれをSPEAC/林厚見という人物に抱いている。

architect2.0に俺はなれるだろうか。

「時に耐える」ということ

あるものが役に立つ時、そのアクションを起こした瞬間にすぐさま効果を発揮する(=即効性・機能性に優れる)が、その瞬間だけで効果が長続きしないものがある一方、その瞬間はあまり役立たないようなものが、のちのち大きな効果を発揮し重要な意味を持ち得ることがあると思う。ことに人生に関しては特にそういうことが言えるのではないか。


今日、仮止めであるが一応は研究の方向性がやっと決まった。整理すべき問題はこれをキチンとやれるか。
まあでも、集落調査の起源から始まって、構造主義や原さん、記号論ノーテーション、吉阪隆正、シチュアシオニスト、コンスタント、チームX、アルド・ファン・アイクとかなり広い領域に拡散し続けてきたが、今後はようやく収束させていかなければいけない。


でも面白いのは、もともと山本理顕への強い関心から始まって、その師の原広司や集落調査を追っていった結果、自分が建築をやるにあたって抱いてきた興味が、複雑に絡み合う糸を一本一本たぐり寄せていって、その興味の糸がひとつひとつつながっていったような感覚を得れたことだ。これは自分にとって非常に大きなことで、この研究テーマを突き詰めていった先には、根源的な重みもなく「きれいな(上手い)修士設計」をやるよりも遥かに強度をもった研究となるだろうし、それはつまり「時に耐え得る」ものだ。少なくとも自分の(建築)人生にとっては。それが社会にとってもプラスであり、時間に耐え得る(例え規模は小さくとも)かどうかは、今、そしてこれからの自分の動き次第だ。


ここ数年ずいぶん遠回りしてきた。自分の駄目さ加減をとことん嫌気がさすほど見てきた。そして、再出発だと意気込んで始まったこの一年も、空回りに空回りをし続け、この手に何が残ったか分からぬほど、ホント一体何を成し得たと言えるのか、というくらいの自己評価の約一年だった。しかし、遠回りしなかったら、あの時うまく自分の希望通りいっていたら、この研究はしなかったろうし、今扱おうとしているような設計思想には出会わなかったろう。というより、前から自分にその萌え芽はあったが、それは浅いままのもので居続けたかもしれない。今その建築的思想の大きなバックボーンを構築していこうとしているのだと思う。このことは今後の自分にとって大きな意味を持つと思う。そう思えば時間の価値・意味はその時にはわからない。ようやく光は射しつつある。


遠くに投げた石が落ちてくるのは遅い、が、あたると威力はデカイ。

ここ4ヶ月ほど

ブログ久しぶりすぎ。放置しすぎだ、週に1回くらい書くクセつけないとな、、


この空いてしまった出来ごとをざざっと書こう。
まず前にも少し書いていたArchi+Aidのプロジェクトがちょうどその時期から始まった。これがなかなか大変だった。アーキエイドサマーキャンプ『半島“へ”出よ』は7月20〜24日の5日間にわたって、石巻市牡鹿半島でおこなわれた。牡鹿半島は細かく28の浜の集落に分かれていて、14チームに分かれて各浜を担当して、フィールドワーク・ヒアリングをして回った。その調査をうけてそれぞれの提案にまとめて、住民にプレゼンし、最終日には全体の浜が集まって発表会を行った。


そもそもこのキャンプは復興・復旧に際し土木コンサルの無造作な計画がつくられる前に、建築家のフィルターを通した復興計画となるよう、その復興計画の下支えとなる調査をすることが目的だ。また、石巻市や各浜の住民と関係性をつくっておくことで、建築家が復興計画に少しでも関与することができるテーブルを用意することが重要だ。事実、今現在少しづつ住宅の高台移転場所が計画されつつあるが、市と土木コンサルと住民の輪の中にArchi+Aidが入って計画に関しての話し合いの場が持てているという話しだ。だけど、どこまでArchi+Aid側の意見が通るかはこれから次第。あくまでArchi+Aidは正式に仕事を受けているわけではないだろうから、微妙な立ち位置やね。


タイトルにある「ここ4ヶ月ほど」は、今日はもう夜遅いからまた続きを書くとしようか。w

7.3、そして、被災地へ

happy birthday to me!








25歳だ。全く実感ない。





そして、前田研究室、Archi+Aidサマーキャンプ参加決定しました。

http://archiaid.org/projects/pj0015/





7/20〜24に被災地行きだ〜。
やれんのかな。建築リテラシーあんのかぁ?

たぶん25日のコンペ発表会やばいな。。
自分、シバこう。

新山口駅コンペ終了と大学間交流

神戸大学槻橋研究室と武庫川女子大学の構造家・萬田先生とうちの前田研究室の3大学合同でやっていた、新山口駅表口広場整備設計プロポーザルコンペが今週ようやく提出にこぎつけた。かなり長かった。てか、最後は激しかった。。特に建築史特論のプレゼンも提出翌日に重なっていたのもあり、きつかった…笑。途中、どうなるかと思ったが、なんだかんだいいものができて、そして他大学との交流が出来て非常によかったと思う。あとは、結果発表後の打ち上げやな!

そして、昨日は立命館大学での合同講評会へ行ってきた。(はるばる草津まで。極限状態のお金がまたもや簡単に飛んでいってしまった。。)と、いうのも、立命館大学も研究室を超えてグループワークでこのコンペに出したらしく、萬田先生にクリティーク?にこないか、との連絡があり、じゃあうちらもプレゼンをとなったそうな。僕は授業のため、遅れて立命館へ。夜は研究室にて飲み会。

立命館の2つのグループはうちとは提案内容もプレゼンも大きく違っていた。そして、立命館には何か熱気が満ちているような雰囲気を感じた。議論もなかなか高度な内容が展開されていて、けっこう強者達がそろっている気配があった。

負けたくない。俺もまだまだ必死にやらねば。この1ヶ月半は今回のグループワークにしても反省点が多い。スピード・効率を最大化して、常識を逸するくらいの気迫で、これからの時間を動きに動いていかねば。

3.11について

少し放置気味のブログ。

何を書けばいいか分からなくて、遅れてしまったが、東日本大震災のことについて少しでも書いておかねばと思う。

今回の震災で非常に多くの命が失われた。津波によって街ごと消えてしまったような中で、家族を失った人々も、その遺体とすら再会する事ができないような状況だ。多くの犠牲者・被災者の方々にご冥福と一刻も早い復興を祈る。

とはいえ、これを安易に言葉にしてしまう事で、何か安っぽくうわべだけの言葉になってしまわないように、もっと今回の震災の事に自ら想いを廻らせなくてはいけない。震災直後、ありないほどの凄惨な映像をTVで連日目の当たりにしたけど、唖然として、どうしていいかわからず、「自分にはお金もないし募金や義援金もほんの少ししか贈る事もできない、自分にはほとんど何も出来ない」と思い、思考停止状態。関西にいて、震災の影響もほとんどなく、震災の前後で何ら変わりのない日常を過ごせてしまう状況にあって、ブラウン管の向こうの事として捉えてしまいがちで、本当にこの震災について自分なりに考える事が出来ているかどうかを問う必要がある。

この震災は日本列島を、日本の構造自体を変えるほど大きな事だし、むしろ変わっていかなくてはならない。「大悪きたれば、大善きたる」で、日本の古い枠組みを転換していかなければならない。だとすると、もちろん建築界にも大きな影響、転換をせまるものとなるはずである。ましてや、建築界は、(表向きそうは見せていなくても、建設業界はこれから始まる建設バブルに嬉々としているのだろう、とy-gsaの学生が言っていたけれど、)住宅などの建設バブルによって、かなり深い影響を与えられる。

そんな建設バブルの中、これから復興していくにあたって、ハウスメーカーディベロッパーの手による画一的で無個性な街づくり、住宅街がつくられてしまう事が想像されてしまうけれど、そのような街づくりになることは避けなくてはならない。山本理顕の言うように、今こそ一住宅で完結した街のつくられ方ではなく、街をひとつの単位で捉えるような理念のある復興ビジョンを描かなくてはならない。その復興のイニシアティブを建築家が先頭に立ってとらなければならないだろう。

ともあれ、やはり自分にとって山本理顕は尊敬に値する建築家だし、ygsaの行動力・敏捷力はすごいと思う。前述の学生が今回の震災を、我が事と捉え、自ら行動を起こしている様は自分もかなり見習わなくてはいけない。1000年に1度とも言われる今回の震災の状況を、一度自らの目に焼き付けておく必要がある。自らの頭で深く考え、行動を起こさなければ。