3.11について

少し放置気味のブログ。

何を書けばいいか分からなくて、遅れてしまったが、東日本大震災のことについて少しでも書いておかねばと思う。

今回の震災で非常に多くの命が失われた。津波によって街ごと消えてしまったような中で、家族を失った人々も、その遺体とすら再会する事ができないような状況だ。多くの犠牲者・被災者の方々にご冥福と一刻も早い復興を祈る。

とはいえ、これを安易に言葉にしてしまう事で、何か安っぽくうわべだけの言葉になってしまわないように、もっと今回の震災の事に自ら想いを廻らせなくてはいけない。震災直後、ありないほどの凄惨な映像をTVで連日目の当たりにしたけど、唖然として、どうしていいかわからず、「自分にはお金もないし募金や義援金もほんの少ししか贈る事もできない、自分にはほとんど何も出来ない」と思い、思考停止状態。関西にいて、震災の影響もほとんどなく、震災の前後で何ら変わりのない日常を過ごせてしまう状況にあって、ブラウン管の向こうの事として捉えてしまいがちで、本当にこの震災について自分なりに考える事が出来ているかどうかを問う必要がある。

この震災は日本列島を、日本の構造自体を変えるほど大きな事だし、むしろ変わっていかなくてはならない。「大悪きたれば、大善きたる」で、日本の古い枠組みを転換していかなければならない。だとすると、もちろん建築界にも大きな影響、転換をせまるものとなるはずである。ましてや、建築界は、(表向きそうは見せていなくても、建設業界はこれから始まる建設バブルに嬉々としているのだろう、とy-gsaの学生が言っていたけれど、)住宅などの建設バブルによって、かなり深い影響を与えられる。

そんな建設バブルの中、これから復興していくにあたって、ハウスメーカーディベロッパーの手による画一的で無個性な街づくり、住宅街がつくられてしまう事が想像されてしまうけれど、そのような街づくりになることは避けなくてはならない。山本理顕の言うように、今こそ一住宅で完結した街のつくられ方ではなく、街をひとつの単位で捉えるような理念のある復興ビジョンを描かなくてはならない。その復興のイニシアティブを建築家が先頭に立ってとらなければならないだろう。

ともあれ、やはり自分にとって山本理顕は尊敬に値する建築家だし、ygsaの行動力・敏捷力はすごいと思う。前述の学生が今回の震災を、我が事と捉え、自ら行動を起こしている様は自分もかなり見習わなくてはいけない。1000年に1度とも言われる今回の震災の状況を、一度自らの目に焼き付けておく必要がある。自らの頭で深く考え、行動を起こさなければ。