『現代建築に関する16章』

を読んだ。なにげに初・五十嵐太郎。書名の通りの内容。以下、メモとして簡単にまとめる。



◎ベルナール・チュミ『建築と断絶』…形態と機能はそもそも断絶している。
シュヴァルの理想宮…フランスの郵便配達員のセルフビルド・ヘン築。フランス文化人類学者のクロード・レヴィ・ストロースの『野生の思考』の中で、近代的な科学者と器用人という対比的な概念を提出し、シュヴァルの理想宮を後者と位置づけた。ブリコラージュ(起用仕事)であると。
◎前項のブリコラージュに関して…コーリン・ロウ『コラージュ・シティ』→ローマの都市はブリコラージュ的。
◎ベルギーの建築家ルシアン・クロールの「ルーヴァン・カトリック大学学生寮」(ブリュッセル)…建築家という全体から部分まですべてを決定する職能という概念に対し、この建築は住んでいる人が空間形成に関与していくモデルとしてつくられた。創造主ではなく、全体を統治する人という建築家の役割。
◎ドリス式は男、イオニア式は女。建築におけるジェンダー
ポストモダンの建築家マイケル・グレイブス「チーム・ディズニー・ビルディング」…7人の小人の柱像
◎『電子のアボリジニアーキグラム
ブルーノ・タウト、伊勢・桂vs日光東照宮。→(似たような議論として)神社建築/仏教建築。縄文/弥生。白派/赤派。という二項対立
スーパーフラット村上隆
◎クリスチャン・ノルベルク・シュルツ『ゲニウス・ロキ』…「土地、場所の精霊」。シュルツは世界の風景は「ロマン的な風景」「宇宙的な風景」「古典的な風景」の三つに分類できると論じ、その自然の風景と建築の関係性を示した。(参)鈴木博之『東京の「地霊」』…不動産の歴史
ケネス・フランプトン「批判的地域主義」…普遍的なものと、固有(地域的)のものという一見対立する概念を、弁証法的に調停し、融合させて昇華させたものが批判的地域主義
◎「ダーティ・リアリズム」…アレキサンダー・ツォニスとリアーヌ・ルフェーブルが出した概念。直訳すると「汚れた現実主義」。現実の都市ではゲニウス・ロキ的な風景とはほとんど無縁。廃墟や鉄道駅や工場など工業的・都市的な風景に対し、より歪ませ強化するような荒々しい建築など、その属性を引き受けた建築をつくるべきという姿勢。ツォニス+ルフェーブルによると、ジャン・ヌーベルやレム・コールハースなど。
パノプティコンミシェル・フーコーは『監獄の誕生』の中で、ジェレミ・ベンサムの考えた「パノプティコン」という監獄のシステムの分析をした。囚人を監視するために、最小の努力で最大の効果をあげる究極の監獄。
◎『神殿か獄舎か』…神殿タイプ=モニュメンタルな「外部の」建築と、獄舎タイプ=「内部の」建築。丹下健三VS村野藤吾
◎メディアが建築に影響を与える。
◎二種類の透明性…コーリン・ロウの『マニエリスムと近代建築』において、リテラルな透明性とフェノメナル(現象的)な透明性があると論じた。レイヤー状にファサードを重ねていくような操作にたいして、フェノメナルな透明性という概念を与える。そして実は古典主義の建築などにもフェノメナルな透明性が見られるのだ、と。ここでおもしろいのは、透明性という概念は、近代になってガラスを用いる事により出てきたと考えられがちだが、実は近代以前から存在していたのだ、と捉えられる点である。※建築史家ジークフリート・ギーディオンは、神殿に代表される古代は外部の建築、大聖堂のできた中世は内部の豊かな建築で、その弁証法的な帰結として、近代は内部と外部の相互貫入の建築だとし、その上でガラスの透明性ということが必要だったという。その次の世代の透明性の議論として、コーリン・ロウは現象としての透明性をあげた。
◎その話しの後で、五十嵐太郎はフェノメナルな映像性の話しをする。動画が発明され、リテラルな映像の建築がいっぱい増えてはじめて、「映像的(フェノメナルな)な建築だ」という考えが出てくる(五十嵐は、例として青木淳などのブランド建築のモアレ現象や谷口吉生の建築をあげる)という意味で、透明性の議論とパラレルだと結論づけた。